田島直人記念陸上競技大会

田島記念記陸上競技大会

田島直人記念陸上競技大会趣旨

田島氏は大阪府に生まれその後、父の郷里である山口県岩国町(現岩国市)に戻り、岩国尋常高等小・旧制岩国中(現岩国高等学校)・同山口高(現山口大学)を経て京都帝国大学(現京都大学)を卒業しました。

氏は1932年ロサンゼルス五輪走幅跳で6位入賞。続く1936年ベルリン五輪走幅跳第3位入賞。三段跳では16m00の世界新記録で金メダル獲得。この記録は史上初の16m時代を切り開く驚異的な大記録であり、五輪記録映画「民族の祭典」の監督レニ・リーフェンシュタール女史は「あなたの三段跳は跳躍ではなく飛躍」と絶賛しました。
この三段跳における金メダル獲得は、1928年アムステルダム五輪の織田幹雄選手氏、1932年ロサンゼルス五輪の南部忠平氏に次ぐ3大会連続の偉業であり「三段跳は日本のお家芸」との高い評価を受けました。

オリンピック大会陸上競技のメダリストの中には、その功績をたたえて、選手名を冠する大会が毎年開かれています。
「織田幹雄記念陸上競技大会」は広島市で、「南部忠平記念陸上競技大会」は札幌市において開催されています。しかし、わが郷土山口が生んだ、ゴールドメダリストであり、岩国市名誉市民である田島氏には、逝去されてから既に13年が経過しましたが、「田島直人」を冠する競技会は開かれることもなく、今や郷土の若い層をはじめ、全国の人々からもその名が忘れ去られようとしています。

今年から日本陸連の後援を受けて開催することになった本大会は、田島氏の偉業を永く記念するとともに、この大会に出場した選手の中から田島氏に続く選手の出現を願い、小中高校生の育成強化を図る大会とするものです。

田島直人氏の略歴

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1912(大正元年) 8月15日父の任地大阪府に生まれる
1925(大正14年) 岩国尋常高等小学校卒業
1929(昭和4年) 旧制岩国中学校(現岩国高等学校)卒業
第4回インターハイ・走幅跳優勝(6m83)、三段跳3位(13m69)
1930(昭和5年) 第9回極東大会に補欠出場(走幅跳)
第5回インターハイ・走幅跳2位(6m82)、走高跳3位(1m65)
全日本選手権大会・走幅跳2位(6m70)、三段跳3位(14m27)
1931(昭和6年) 第6回インターハイ・100m優勝(11秒1)、走幅跳優勝(6m92)
走高跳2位・棒高跳3位・三段跳4位、史上最高得点をあげる
1932(昭和7年) 旧制山□高等学校(現山口大学)卒業
全日本選手権大会・三段跳優勝(14m81)、走幅跳2位(7m08)
第10回ロサソゼルスオリンピック大会・走幅跳6位入賞(7m15)
1933(昭和8年) 明治神宮大会近畿予選・三段跳優勝(15m05)
1934(昭和9年) 第10国極東大会・走幅跳優勝(7m30)、三段跳3位(14m95)
1935(昭和10年) 第6回国際学生・走幅跳優勝(7m52)
全日本選手権大会・三段跳優勝(15m65)
1936(昭和11年) 京都帝国大学(現京都大学)経済学部卒業
三井砂川鉱山入社
第11回ベルリンオリンピック大会・三段跳世界新記録(16m00)
走幅跳3位入賞(7m74)
1937(昭和12年) 軍役に応召
1938(昭和13年) 軍役に服務
1951(昭和26年) 日本陸上競技連盟常務理事に就任
1956(昭和31年) 第16回メルボルンオリンピック大会陸上競技コーチ
1961(昭和36年) 日本オリンピック委員会常任委員に就任
1963(昭和38年) 紫綬褒章を受賞
1964(昭和39年) 第18回東京オリンピック大会陸上競技ヘッドコーチ
1966(昭和41年) 中京大学教授(ドイツ語)に就任
1972(昭和47年) 第20回ミュンヘンオリンピック大会本部役員(総務主事)
1979(昭和54年) 日本陸上競技連盟審議員に就任
1983(昭和58年) 日本陸上競技連盟監事に就任
1987(昭和62年) 勲3等端宝章を受賞
1990(平成2年) lOC・オリンピックオーダー銀賞を受賞
岩国市名誉市民の称号を受ける
1990(平成2年) 12月4日逝去(78歳)

 

田島直人氏とオリンピックオーク

田島氏はベルリン五輪金メダルの副賞として、オーク(樹種:ドイツカシワ)の鉢植えの苗木を贈られました。その苗木は京都大学に植えられ、関係者の適切な管理によって、風雪に耐えて根をはり、現在は樹高20mを越える大樹に育ち、「オリンピックオーク」と呼ばれています。

この栄光の樹「オリンピックオーク」から採れた実を発芽させて育てた苗木は、岩国高等学校や山口高等学校(この地に旧制山口高等学校があった)など、田島氏ゆかりの全国の地に植樹されています。

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