山口県の陸上競技
黎明期から世界の頂点へ (戦前編)
1925年(大正14年)3月8日 全日本陸上競技連盟創立。
1911年(明治44年)以来、日本のスポーツを専制的に統制してきた大日本体育協会の民主的改革につながり、しかもその民主化運動の先頭に立ったのは、早慶明3大学の陸上競技部員だった。
山口県人の国際舞台
1920年頃から欧州の学生たちが、学生だけの競技会を開こうと計画。その後、1923年パリで開催。組織の拡大が図られた。
国際競技大会は、国際学生連合が設立され1924年 第1回ワルシャワ大会。日本・イギリスが参加したのは、1928年昭和3年8月のパリ大会。
その年、5月に第1回日本学生選手権。優勝した早大が英国遠征。その中に、武田憲雄(萩出身)がいる。織田幹雄、南部忠平も揃った選手一行23名。
7月10日:オックスフォード、ケンブリッジ両大学選手で組織されたアキレス・クラブと対戦。7月末からアムステルダム・オリンピックに織田、南部、人見など9名が参加。三段飛びで織田幹雄が優勝。
この大会の間に開催された、国際陸連総会に日本陸連理事らが参加し、関係団体の尽力で、国際学生連合に加盟、引き続き8月14日から開催される第3回学生パリ大会に参加。ドイツ、フランスにつく総合3位と大活躍した。